反田恭平の学歴や身長と父の職業を調査!髪型と筋肉のこだわりと指揮者への思い

反田恭平の学歴や身長と父の職業を調査!髪型と筋肉のこだわりと指揮者への思い

反田恭平(そりたきょうへい)さんが「ショパン国際ピアノコンクール」に2位に入賞しました。

日本人として51年ぶりの快挙です!とても素晴らしいですね!!

世界中で反田恭平さんを称える声が溢れかえっています。

そんな快挙を成し遂げた反田恭平さんはどんな学歴を歩んだのでしょうか!?

父母の職業についてもとても気になります!

反田恭平さんは小さい頃はサッカー選手になるのが夢でしたが、右手手首の骨折が原因でサッカーを諦め、ピアニストを目指すことになりました。

でも父は反田恭平さんがピアニストになるのを反対されていたそうです。そんな父がなぜ反田恭平さんのピアニストへの道を認めたのでしょうか。

反田恭平さんは髪型と筋肉にとてもこだわっています。ピアニストと髪型や筋肉はどう関係しているのでしょうか。

ここでは反田恭平さんの学歴や身長、父の職業、そして髪型と筋肉にこだわる理由を紹介していきたいと思います。

反田恭平の学歴経歴と身長は?

 

反田恭平さんの学歴と経歴、身長は次の通りです。

生年月日:1994年9月1日
出身地 :北海道札幌市
出身高校:桐朋女子高等学校音楽科
血液型 :AB型
身長  :170センチ

反田恭平さんが初めてピアノに触ったのが4歳の時だそうです。

母が電子ピアノを購入し息子の前で「ミッキーマウスマーチ」を弾きましたが反田恭平さんはその母の演奏を聞いただけで耳で覚えてすぐに弾けたそうです。

凄いことですよね!!

それこそが絶対音感の持ち主なのですね!

反田恭平さんはその時に「ピアノって簡単なんだなぁ」と思い自分の中でクリアした感覚になってしまいピアノには興味が無かったそうです。

天才の耳を持っていながら興味がないとは勿体ない話ですね(*^_^*)

そして大好きなサッカー選手を目指していきました。

しかし右手手首を骨折してしまいサッカーを諦め、12歳で本格的にピアノを始めピアニストを目指して行きます。

左手はピアノの蓋で挟んで骨折し、手が開くようになってラフマ二ノフの二番が弾けるようになったというエピソードもあります。

14才では第18回日本クラシック音楽コンクールの最高位を取得します。

いきなり才能が開花していきますね!!

2012年高校在学中に第81回日本音楽コンクールで史上最年少で第1位に入賞、聴衆賞も受賞しました。
その後、桐朋学園大学音楽学部に入学します。

翌2013年にロシアのピアニスト、ミハイル・ヴォスクレセンスキー氏の推薦によりロシアへ留学し、
国立モスクワ音楽院に首席で入学しました。

2015年に、日本コロムビアより、アルバム「リスト」でCDデビューし、2017年23才でポーランドのショパン国立楽大学に入学しました。

アニメ「ピアノの森」で演奏を担当してとても話題になりましたね!

NHKラジオ「反田恭平のピアノジャム!」という番組を持って活躍され、国内外で演奏活動を意欲的に行っています。

 

反田恭平の父の職業は?

 

父は反田恭平さんがピアニストになる事に反対だったそうですが父は何をされている方なのでしょうか。

 

反田恭平さんの父の名前は反田憲秀さんと言います。

父の職業はサラリーマンで音楽には全く興味が無かったそうです。

反田恭平さんは桐朋学園大学音楽部附属の子供向け音楽教室に入り、ピアノの技術がメキメキと上達していきました。

絶対音感の持ち主なので上達の早さは凄かったと想像します。

反田恭平さんがサッカー選手の夢をあきらめピアニスト志望に転向しますが、桐朋学園大学音楽部附属高校への進学希望に父は反対しました。

ピアニストへの道は大変な道のりなので息子を想い反対したのではないでしょうか。

父は「高校に進学するなら中学3年生までにコンクールで一位を取れ」と条件を付けました。

すると反田恭平さんは見事にコンクールで一位を取ったのです!

父も渋々息子のピアニストの夢を認めたということだそうです。

 

反田恭平さんの母は専業主婦です。

4才の時に電子ピアノを買ってもらい母と一緒に弾いていたそうです。

反田さんがピアノを始めたのは母の影響です。

母が電子ピアノで適当に弾いて、ピアノの下で反田恭平さんが座って音を当てるというトレーニングをしていました。

通っていたピアノ教室でも絶対音感を鍛えましたが10音くらいは同時に聴き取れていたそうです。

母が弾いた曲を聴いただけで4歳の子供がいきなりピアノを弾いたことで「ピアニストにならないかな」と思っていたそうです。

母は反田恭平さんの才能に気づいていたのですね!

 

反田恭平の髪型と筋肉に対するこだわり!

 

反田恭平さんの髪型は長い髪を後ろで一つにしばり特徴のある髪型をしていますがこれにはこだわりがあるそうです。

モスクワに行ってから長髪にしたそうです。

現地の人たちからすると中国人と韓国人と日本人の顔はほとんど一緒に見えるから、印象を残すために日本の「サムライ」をイメージして長髪にしたそうです。

名前よりもまず髪型から「サムライ」と覚えてもらえることを戦略として考えていたそうです。

実際に周囲から「サムライ」と呼ばれて狙い通りだったと話していました。

そして筋肉に対するこだわりもあります。

ワルシャワのフィルハーモニアのホールで音を響かせるためには「食べないといけない」と2年かけて筋肉をつけ、

その後1年間で筋肉を落として脂肪に変えるという方法をやっていたそうです。

ピアニストの命である指のことも気にせずボクシングもやっていました。

反田恭平さんのストイックな独自のスタイルで一流ピアニストになっていったのですね!

反田恭平の指揮者への思い

 

サッカーで右手首を骨折しピアニストへの道を歩み始めましたが、12歳の時に曽我大介先生のワークショップに参加し、80名のオーケストラ団員を前に指揮者をさせてもらえることになりました。

この出来事が反田恭平さんのターニングポイントになったようです。

指揮棒を一振りした瞬間に世界が一変したそうです。

あらゆる楽器が一斉に鳴り響き圧倒的な音の世界、クラシック音楽のカッコよさに人生観が180度変わった瞬間だったそうです。

そして「指揮者になりたい!」と先生に伝えたそうです。

曽我先生から「指揮者になるためにはまず一つの楽器を極めた方がいい!」とアドバイスをもらいずっとピアノを続けているのだそうです。

とてもカッコいい生き方ですね!!

今後は指揮者としての姿も見られますね!!

まとめ

 

「ショパン国際ピアノコンクール」に2位に入賞し、日本人として51年ぶりの快挙を達成した反田恭平さんの学歴と身長、父の職業そして髪型や筋肉へのこだわりを紹介しましたがいかがでしたか。

ショパン国際ピアノコンクールとは世界三大コンクールと言われる栄誉ある大会です。

1927年から5年ごとに開催されています。

1970年に内田光子さんが2位という成績を収めて以来51年ぶりに日本人では二人目の快挙を成し遂げました。

反田恭平さんは発表された時、ホールが大理石で響くので何を言ってるのかわからなかったそうです。

反田恭平さんはロシア時代には軽く車に轢かれたことがあったり、寮の中でタクシーの運転手に刃渡り40センチくらいのナイフを突きつけられたりしたこともありました。

「何が起こるかわからないからその日練習した最後の音に悔いがないように明日死んでもいいように練習する!がモットー」だそうです。

将来は「優秀な音楽家を育成する学校を作りたい!」という夢があるそうです。

素晴らしい夢ですね!間違いなく実現されると思います。

楽しみですね!!

ピアニストとしても指揮者としても反田恭平さんの今後の活躍にも注目していきたいと思います。

 

 

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