廣瀬順子【パラ柔道】所属や出身小中学高校大学は?プロフと経歴も!夫との二人三脚!

東京パラリンピック2020が開催されましたね!!

注目されている廣瀬順子選手は視覚障害者柔道の選手です。

ルールは基本的に健常者のものと同じですが、全盲・弱視の選手が一緒に競い合えるように工夫されています。

選手が互いに組み合ってから開始し、場外規定が無いのが視覚障害者柔道の特徴です。

廣瀬順子選手の夫の廣瀬悠選手も東京パラリンピックで視覚障害者柔道に出場します。

夫婦二人三脚でトレーニングを積んで、夫婦揃ってメダルを目指しています。

廣瀬順子選手は小学5年生から柔道をやっていますが、大学時代に病気で視力を失いました。

廣瀬順子選手が病気を乗り越えてどのように畳に戻って来たのか、結婚して柔道がどのように変わったのか、所属先、出身などプロフィールと経歴についても紹介したいと思います。

廣瀬順子【パラ柔道】の所属先は?

廣瀬順子【パラ柔道】の所属先は伊藤忠丸紅鉄鋼を経て現在は現在はSMBC日興証券に所属しています。

廣瀬順子【パラ柔道】の出身小中学高校大学は?

廣瀬順子【パラ柔道】の出身小中学高校大学は下記の通りです。

小学校  山口市立小郡南小学校
中学校     ”    中学校
高校   山口県立西京高校
大学   広島国際大学入学
(成人スティル病を発症し治療に専念するため退学)
花園大学社会福祉学部臨床心理学科に入学
(退院後に社会福祉士の資格を取るため)

花園大学と言えばラグビーが強い大学です。

ラグビーワールドカップ日本大会で日本代表として活躍したマフィ選手が花園大学の卒業生ですね!!

廣瀬順子【パラ柔道】のプロフィールは?

東京パラリンピック柔道代表の廣瀬順子選手のプロフィールを紹介します。

旧姓   三輪順子
生年月日 1990年10月12日
身長   158㎝
体重   57kg

では、廣瀬順子選手【パラ柔道】の経歴について紹介します。

廣瀬順子【パラ柔道】の経歴は?

 

廣瀬順子選手は小学5年生から柔道を始めました。

柔道を始めたきっかけは好きな漫画に影響されたそうです。

柔道を始めた方の中には同じように漫画に影響された方は多いのではないでしょうか(*^_^*)

廣瀬順子選手は高校時代インターハイ出場するほどの実力の持ち主でした。

順風満帆でしたが、不運にも大学時代に成人スティル病を発症し、視野のほとんどを失ってしまいました。

成人スティル病とは高熱や発心を引き起こす病気です。

子どもにしかかからない病気だと言われていましたが、1971年以降成人にもかかる病と言われています。

未だに原因は解明されていません。

廣瀬順子選手は視野の中心部分を失い一度は柔道から離れていました。

理学療法士を目指して広島国際大学へ入学しましたが、成人スティル病を発症し、治療に専念するために大学を退学しました。

半年間の入院治療で病気は回復しましたが、合併症の影響で視力が低下しました。

退院後に社会福祉士の資格を取りたいと思い京都の花園大学に進学しました。

最初は大学生活が楽しくて友人と遊びに出かけたり大学生活を楽しんでいました。

でも目が悪い状態で普通の大学に行ったので廣瀬順子選手は悩み始めます。

「生活しているうちに他のみんなみたいに勉強がすらすら出来るわけでもないし、バイトがしたくてもできないしというので自分が一生懸命になれるものが無くて何かつまんないなと思い出して、その時に昔聞いたことがある視覚障害者柔道というのを思い出してやってみたいなと思いました。」と語っています。

そして廣瀬順子選手は視覚障害者柔道と出会い、再び畳の上へと戻ってきました。

3年のブランクを埋めるために一生懸命練習を重ねますが、初めての国際大会ではわずか5秒ほどで投げられてしまったそうです。

それまでやっていた柔道では、組み手争いで相手を崩し、技に入るときだけ力を入れるように教わっていましたが、視覚障害者柔道はお互いに組んだ状態で始まるので、始めから力を入れていなければいけません。

その感覚がわからずに、力を抜いてしまったのが敗因でした。

この競技では、最初からお互いにフルパワーで組んで、力で勝って自分の体勢を作ってから技に入るのが基本なのだそうです。

一瞬、わざと力を抜いて相手を崩したりすることもありますが、それも力で負けない状態を作ってからでないと効果がありません。

基本的にお互いに力を込めている状態なので、道着を掴んでいる腕はもちろん、引く力を発揮する背中の筋肉など全身に常に力が入っているのですごくハードですね!!

地道な努力を続け、2014年にはアジアの競技大会で2位、その後世界大会で5位という成績を残しました。

そして2015年12月には同じ柔道家の廣瀬悠(はるか)選手と結婚しました。

廣瀬悠(はるか)選手は男子90kg級の現役選手で、廣瀬選手のコーチも務めています。

視覚障害者柔道・男子90kg級の廣瀬悠(はるか)選手と、女子57kg級の廣瀬順子選手は、パラアスリートどうしの夫妻です。

結婚する前は「やらなきゃいけない!」

そういう気持ちでやりすぎてやめたくなっていたそうですが、結婚してからは

「根詰めて嫌になるほどやるよりもっと楽に考えて楽しくした方が絶対に強くなる」

と言われてそれからは二人で楽しくやるのをいつも心がけて柔道しているそうです。

周りの人からも廣瀬順子選手本人も結婚してから強くなったと話しています。

体づくりの基本となる毎日の食事は二人で自炊をしています。

二人で相談しながら献立を考え、買い物も料理も二人で協力しながら行っているとても仲良しの夫婦です(*^_^*)

廣瀬順子選手は視覚障害者柔道に転向してからは筋力トレーニングに多くの時間を割くようになりました。

基本的には夫・廣瀬悠選手とトレーニングすることが多いようです。

いつも一緒なので弱点を克服出来たり色々なことが相談し合えて公私ともに最高のパートナーですね!!

廣瀬順子【パラ柔道】の戦績は?

廣瀬順子【パラ柔道】の戦績は次の通りです。

2014
インチョン2014アジアパラ競技大会(韓国)
女子57kg級 2位

2015
IBSAワールドゲームス
女子57kg級 5位

2015
IBSAワールドカップ(ハンガリー)
女子57kg級 5位

2015
第30回記念全日本視覚障害者柔道大会
女子57kg級 1位

2016
リオパラリンピック
女子57kg級 銅メダル

2017
IBSAワールドカップ(ウズベキスタン)
女子57kg級 5位

2017
第32回全日本視覚障害者柔道大会
女子57kg級 1位

2019
IBSA柔道グランプリ タシュケント大会(ウズベキスタン)
女子57㎏級 3位

とても素晴らしい戦績ですね!!

廣瀬順子選手はスピードを生かした技の仕掛けを強味にリオパラリンピックでは女子柔道初の銅メダルを取りました。

凄いですね(*^_^*)

しかし、リオパラリンピックでは敵なしだった廣瀬選手にライバルが出現しました。

トルコの新星、チェリキ・ゼイネプ選手です。

2018年の世界選手権では、廣瀬順子選手はチェリキ・ゼイネプ選手と対戦し開始45秒で一本負けしてしまいました。

翌年の世界大会でもわずか15秒で廣瀬順子選手は一本を取られました。

チェリキ選手は廣瀬順子選手の弱点をつく得意技である体勢を瞬時に落とし、巻き込んで倒す「谷落(たにおとし)」を持っていました。

この技は、視野が狭い廣瀬順子選手にとって、対応が難しいそうです。

視覚障害者柔道は選手によって、全盲であったり部分的に見えないところがあるなど試合中の”見え方”にも差があります。

見ようとせず感じることが大切なのだそうです。

「私の場合は視野の正面部分が見えないので、正面を向いて組み合うと、相手の肩の部分が見えている感じです。
技に入る瞬間に、顔の向きを変えて視野の見えている部分で見ることもありますが、試合中はあまり相手を見ようとしていないですね。

組んでいれば、相手がどんな体勢になっているか、どこに力が入っているかはだいたいわかりますから。

それは普段の練習の積み重ねとしか言いようがないですが、相手がどんな技をかけてきていて、それにどう対処するかなどは体が反応します。

寝技に移行するときも、この技が崩れて寝技になったので、相手はこういう体勢だなというのは感覚でわかります。

見てから考えていては間に合わないので、それは一般の柔道をやっていたときとあまり変わらないかもしれません。」

さらりと話す廣瀬順子選手がどれだけの練習を重ねどれだけ努力して来たのか、この言葉に込められていると思いました。

東京パラリンピックでチェリキ・ゼイネプ選手と戦う可能性があると思います。

どのように克服してきたのか期待したいですね!!

廣瀬順子【パラ柔道】は結婚を期に夫との二人三脚で柔術にも取り組む!

2015年に結婚し、現在は愛媛県を拠点に活動している廣瀬順子選手ですが、練習は夫の廣瀬悠選手との二人三脚で練習をしています。

夫婦で同じ競技に取り組んでいて、夫はコーチでもあるので柔道は生活の一部で、日常でもご飯を食べながら試合のビデオを見て対策を考えたりしているそうです。

柔道一色にならないために週に1日はオフの日を作って2人で買い物に出かけたりするようにしているそうです。
オンとオフを使い分けてモチベーションを保っているのですね!!

夫である廣瀬悠選手がブラジリアン柔術の黒帯なので、2016年からは柔術の練習もしているそうです。

ブラジリアン柔術は寝技対策のために始めましたが、外国人選手対策としても役に立っているそうです。

「柔道一直線」とは廣瀬夫妻のためにある言葉かもしれませんね。

廣瀬順子【パラ柔道】が柔道を始めるきっかけとなった漫画は?

廣瀬順子選手は小学5年生の時に柔道を始めましたが、きっかけは好きな漫画に影響されたということです。

そのきっかけとなった漫画は「あわせて1本!」です。

「あわせて1本!」

柔道少女の明日香は滝沢高校の一年生で、ずっと柔道部の主将の九条先輩に憧れています。

ようやく九条先輩に告白しようとラブレターを書いたのですが、そのラブレターを転入生の諒也に拾われてしまい、返す条件として柔道で勝負することになりました。

明日香が負けたら3か月限定で諒也と付き合うことを約束させられてしまいます!

勝負の行方と明日香の恋の行方を描いた大人気のラブコメです。

廣瀬順子選手は、この「あわせて1本!」の主人公の女の子が男の子を投げるのがかっこいいなと思って柔道を始めたそうです(*^_^*)

 

「あわせて1本!」を読んでみたい方は楽天ブックスにありますよ!

 

まとめ

視覚障害者柔道の廣瀬順子選手が大学時代に病気で視力を失い、病気を乗り越えて畳に戻ってきました。

廣瀬順子選手がどのように畳に戻って来たのか結婚して柔道がどのように変わったのか、所属先、出身などプロフィールと経歴について紹介しましたがいかがでしたか?

「最初は、視力が落ちても特にショックを受けていなかったんです。というのも、膠原病が治れば視力は元に戻ると言われていたから。
でも、実際には退院の時に『今の視力は戻らないです』と言われてしまって。
ただ、その時はもうなんだか自分の中で受け入れていて、『やっぱり』という感じでした。
命が危ういという経験もしたから、目が悪くなったことよりも、元気になれた喜びの方が大きかった。それでショックをあまり受けなかったのかもしれません」

とインタビューで話していましたが、病気を受け入れる勇気はとてもとても大変なことだったと思います。

病気を乗り越えて戻って来た廣瀬順子選手がどんな柔道を見せるのか楽しみにしたいと思います。

夫の廣瀬悠選手も東京パラリンピックで視覚障害者柔道に出場します。

夫婦二人三脚でトレーニングを積んで揃ってメダルを目指します。

廣瀬順子選手は8月28日に夫の廣瀬悠選手は8月29日に登場します!

頑張ってください!!応援しています!

 

 

 

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