陸上の井谷俊介選手のプロフィールや記録は?大学のときに事故で足切断?

東京2020オリンピックの試合が白熱し、沢山の感動が世界を駆け巡っていますね。

 

オリンピックが終わったら、次はパラリンピック。

東京2020パラリンピックの開会式は、2020年8月24日(火)の予定です。

 

パラリンピック陸上男子100m、200mに出場する井谷俊介選手に注目しました!

テレビなどメディアでも多く取り上げられていますね。

短期間でパラリンピックに出場する選手になるまで上り詰めました。

 

2016年、大学時代に交通事故で片足を切断しましたが、競技用の義足で走れることに喜びを感じたことをきっかけに、陸上競技の世界へ。

事故からたった5年しかたっていませんね。いったいどんな方なのでしょうか。

 

井谷俊介選手のプロフィールや記録、事故のことや夢などを調べてみました。

井谷俊介選手のこんなところがすごい!たったの3年半で出した記録とは?

現在2021年ですが、井谷俊介選手が事故にあったのは大学生のころ。それは2016年の2月のことでした。

井谷俊介選手が陸上の選手を目指すようになったのは、そのあと2018年ころからです。

ですから、たった3年半でパラリンピックへの切符を手にしたことになりますね!

 

また、アジア新記録を出したのは、陸上を本格的に初めてからわずか10か月という快挙。

そんな井谷俊介選手の出した記録を見てみましょう。

ポジション/クラスT64(片下腿義足)

主な成績

2018インドネシア2018アジアパラ競技大会100m(T44/T62/T64) 1位
2019日本パラ陸上競技選手権大会 100m(T64) 1位
2019世界パラ陸上競技選手権大会(UAE)男子100m(T64) 8位

男子200m(T64)7位

20212021ジャパンパラ陸上競技大会(香川)男子200m(T64)2位

男子400m(T64)2位

2018年  11秒70(アジア新記録)

ベストタイム 100m  11秒47(2019年自身のアジア新記録更新)

200m  23秒49(2019年自身の日本新記録を更新)

 

東京2020パラリンピックには、陸上100mと200mに出場される予定です。

 

義足を履いて初めて走ったのが、2017年の11月。そのころはまだ100m14秒台だったそうです。

ですがトレーナーの仲田健さんに出会い、2018年1月から本格的なトレーニングを開始。

わずか10か月でアジア新記録を打ち出しました。

すごい!!の一言ですよね。

 

そんな井谷俊介選手はどんな子ども時代を過ごしてきたのでしょうか。

怪我をするまでは、他のスポーツをしていたのでしょうか?

井谷俊介選手のすごさのわけ。どんな環境で育ったの?プロフィールなど

 

実は、井谷俊介選手は、地元三重県の鈴鹿にあるレース場へ、子どもの頃から足繫く通い、カーレースへの憧れを持っていました。

そして、本格的にカーレースをしようと決意し、大学時代にアルバイトで貯めた資金で自身のマシンを購入した直後の事故だったとか…。

高校生の頃は野球部に所属していたようですね。ピッチャーをしていたそうです。

カーレースもデビューされていたのですね!!

陸上とカーレース、二足の草鞋を履かれていて、格好いいですね!!

 

それでは井谷俊介選手のプロフィールを見てみましょう。

  • 名前 井谷俊介 (いたに しゅんすけ)
  • 生年月日 1995年4月2日
  • 年齢(2021年8月現在) 26歳
  • 出身 三重県尾鷲市
  • 出身高校 津田学園高等学校(野球部)
  • 出身大学 東海学園大学 経済学部経営学科
  • 所属 SMBC日興証券株式会社 人事部アスリート
  • 身長 179cm
  • 好きな食べ物 名古屋名物味噌カツ ベイクドチーズケーキ
  • 好きな漫画 NARUTO-ナルト-
  • 好きな言葉 ”Keep Pushing” 自らを駆り立てる、進み続ける
  • 憧れのアスリート 脇阪寿一(スーパーGTで3度のシリーズチャンピオン)

 

井谷俊介選手の出身高校である、津田学園高等学校の野球部は甲子園へ5回出場している強豪校です。

その中でピッチャーをされていたようですので、身体も本格的に鍛えていたのでしょう。

きっと、走るのも速かったのでしょうね。

 

2018年からトレーナーの仲田健さんの指導のもと本格的に陸上を行うことになりましたが、その仲田健さんを紹介してくださったのが憧れのアスリートの脇坂寿一さんなのですね!

運命を感じますね。

 

好きな食べ物は、大学時代に通っていた定食屋の味噌カツだとか!

ベイクドチーズケーキなどスイーツも好きなのですね。

食べ物の話を聞くと、なんだか身近に感じることができますね。

 

井谷俊介選手が右ひざ下を失った事故とは?リハビリは大変だったの?

そんな井谷俊介選手は、東海学園大学に在学中の2016年2月に交通事故に遭い、右脚のひざ下を失ってしまいました。

アルバイトからバイクで帰る途中に事故に遭い、一時は意識不明の重体に。

命の危険もあったそうですが、4日間の昏睡状態の後、奇跡的に目が覚めました。

しかし、右足首は開放粉砕骨折と診断され、感覚を全く感じることがなかったそうで、事故から10日後に脚のひざ下を切断する手術をすることになりました。

 

2日間は痛みと精神的なショックで声も出なかったそうです。

お見舞いに来てくれた友人が、井谷俊介選手の脚を見てショックを受けたり、そばで看病してくれたお母さまの顔からは笑顔が消え、皆を悲しませていることが辛かったとインタビューで答えていました。

でも、そのことがきっかけで義足を履いて歩くことにチャレンジしようと思えたそうです。

 

しかし、義足でのリハビリは思った以上に辛く大変だったとか。

医師には歩くまで半年、走るまでには1年かかると言われたそうですが、さすが井谷俊介選手

痛みをこらえてリハビリを続けて2週間で歩けるようになったそうです。

 

そして、子どもの頃から夢だったカートレースにチャレンジし、入門クラスでシリーズチャンピオンに!!

少しずつ成績を残せるようになった頃に、陸上に出会ったようです。

 

お母さまの提案で、義足の方たちが走るチームを訪れ、競技用の義足を付けて走ったことが転機となりました。

走っているときの音、風、感覚など、これまでに感じたことがない位風を気持ちよく感じ、笑顔が溢れていたそうです。

それをきっかけにして、陸上の世界へ飛び込んでいきました!!

 

井谷俊介選手の夢を教えて!事故からつながる未来の夢

それでは、井谷俊介選手はどんな夢を持っているのでしょうか?

 

ご自身も義足を付け始めた当初は、歩きにくく大変な思いをしました。

誰でも義足を付ければ簡単に歩けたり、走れるわけではなく、何年も歩くことが出来ずに苦しんでいる方たちがいます。

現役引退後は、日本中、世界中の子どもたちに義足を提供しながら、義足の可能性を伝え、誰もがスポーツを楽しめる世界にしたいのだそうです。

スポーツの力でみんなが笑顔になる世界にしたいとのこと!!

素敵な夢ですね。

まとめ

いかがでしたか?

井谷俊介選手のプロフィールや、保持記録、事故や将来の夢のことなどを書いてみました。

片足を失っても、周りの人たちの笑顔のために、自分に出来ることとして、義足で歩くこと、走ること、チャレンジしていくことを選び、努力を続けていった井谷俊介選手

そして、沢山の人達に支られてきたことから、「共に生きる」ことを大切にするようになったそうです。

 

井谷俊介選手の活躍に、励まされたり勇気をもらえた方も多いのではないでしょうか?

私もその1人です。

東京2020パラリンピックでの井谷俊介選手の活躍はもちろん、そのあとの活躍にも注目したいですね!

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