今から47年前に閉山した軍艦島。2015年には世界異文化遺産に登録されました。
いまだ謎多き島として人々の関心を集めています。
一体どんな島だったのか、今実際に島を訪ねる事ができるのか気になりますね。
軍艦島とは?
軍艦島は長崎港から船で18.5kmの所にある「端島(はしま)」という島で、現在は無人島となっています。
元々は自然の岩礁でしたが、明治26年から昭和6年にかけて埋め立て工事をした半人口の島です。
この島で明治から昭和にかけて海底炭鉱が盛んに行われていました。
最盛期の1960年には東京都の約18倍の人口密度を有し、島全体が活気に満ちた一大都市だった、かつての夢の島です。
【1960年当時】
・東京都面積 約2,200平方km 人口 約970万人(人口密度 1平方kmあたり約4,400人)
・軍艦島面積 約0.063平方km 人口 約5,300万人(人口密度 1平方kmあたり約8万3,000人)
どれだけギューギューだったかがわかりますね!
名前の由来は、長崎半島最南端の野母崎半島から見ると軍艦の形に見える事からきているそうです。
軍艦島アクセス
2009年4月より軍艦島への上陸ができる様になりました。長崎港からクルーズ船で片道約45分。
(長崎港へは長崎駅から徒歩15分ほど、長崎空港からはリムジンバスで途中乗り換え1回あり40分+最寄駅から徒歩5分です)
ただし付近の海域は潮の流れが早く船の運行は慎重を極め為、天候と安全基準を満たさないと上陸ができません。
天候基準をクリアする日数は年間100日程度だそうで、上陸できた方はラッキーですね!
軍艦島への足掛かりとなる「ドルフィン式稼動桟橋」は台風によって2回吹き飛ばされましたが、現在は1962年再建された頑丈なドルフィン桟橋を利用しており、上陸クルーズ船の接岸場所となっています。
※ドルフィン桟橋とは・・・堤防がない沖合に杭を打ち込んで作られた係留施設のこと
軍艦島ツアー
個人で軍艦島へ行く事は難しいので、軍艦島専用クルーズを利用する事となります。
軍艦島へのツアーは5社あります。
ツアーの所要時間はだいたい3時間前後、料金は大人3,000〜4,000円くらいの相場です。
(別途軍艦島上陸料 大人 300円 12歳未満 150円)
第七ゑびす丸(こちらは漁船で乗船時間は約10分。揺れに強く、早く行きたい方にオススメです)
当時の生活は?
当時は軍艦島での炭鉱の仕事に日本で最も高い賃金が払われていたそうです。
よって従業員は日本初の高層鉄筋コンクリートアパートに住み、家電も揃え、テレビ普及率は日本一(ほぼ100%)を誇っていました。
1957年に開通した海底水道のおかげで、飲料水用の真水も安定して供給されていました(光熱費と水道代はタダ)。
また当時日本一高い高層の小中学校があり、1962年の最盛期には小中学校の生徒数は1,169人もいたそうです。
とにかく道が狭く車が通行出来なかったので、移動手段は徒歩が中心。荷物は自転車やリヤカーで運んでいました。
炭鉱の会社が経営する「購買会」では生活必需品が市価より安く購入する事ができ、また当時では高い「端島手当」が出ていた事もあり娯楽も盛んでした。
飲食店・ショッピングから美容・映画・パチンコ・麻雀や囲碁・遊郭まであり、経済も潤い人々は贅沢を楽しんでいた様です。
なぜ閉山してしまったの?
1950年代のエネルギー革命で、主要エネルギーが石炭から石油へと移った事、
また他国からの安価な石炭が輸入される様になり、利益が見込めなくなった事が原因の様です。
軍艦島には炭鉱以外の産業がなかった為、1960年代に人口が急激に減少していきました。
1965年には新たな炭坑場所が見つかり、機械化や合理化により生産量は一時持ち直しましたが、
1972年採掘終了・1974年に閉山となり、最後に残っていた2,000人の島民は一斉退去となりました。
約100年続いた炭鉱の夢の島はついに終焉を迎えました。
まとめ
一時は日本の産業を根底から支え、島民の誇りと活気に溢れた島が、今では完全な廃墟となってしまっているところが栄枯盛衰のロマンを感じます。
この地で力強く生きた人々へ思いを馳せながらいつか訪ねてみたいですよね。
もし行くのが難しい場合、Googleのストリートビューでも島の様子が垣間見れる様ですよ。
軍艦島はGoogleストリートビューで見るとおもしろいよ。見学にいっても島の周囲をちょろっとしか歩けないし。フロア毎に移動できるのすごい。 pic.twitter.com/cLkKeMfzwF
— ベーリー (@BaileyA43656552) April 29, 2021
最後までお読みいただきありがとうございました。
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